garudajkt’s diary

ジャカルタでアンティークコイン収集

コインテラピー

ジャカルタに住んで一番ストレスを感じるのは、仕事でもなく、対人関係でもなく、車の運転である。

 

 この国で免許を取得し、自分で運転し始めて10年近く経つが、渋滞は年々悪化している。自宅からオフィスまで、距離にして6キロ程度だが、30分で着けばラッキーで、だいたい45分から1時間程度かかる。それに加えて、信号無視や車線無視、無理な割り込み、バイクの逆走は日常茶飯事で、ストレスに拍車をかけている。また、道路も、アスファルトで舗装されているのにもかかわらず、陥没していたり、結構大きなゴミが落ちていたりするので、運転には細心の注意を要する。

 

そんなわけで、仕事を終えて、車を運転して自宅に着いたときは、疲労とストレスが最高値に達している。でも、家族が寝静まった後、酒を注いだグラスを片手にコインを眺めていると、疲労やストレスがすーっと消えてしまっている自分に気づく。

 

「コインテラピー」という言葉を最近耳にした。コインを眺めながら、その美しさや、歴史に思いをはせていると、心身ともに癒される。まさに「コインテラピー」である。そんな趣味に出会えたことに本当に感謝したい。

 

f:id:garudajkt:20170427111208j:plain

新規開拓

聖地パサールバル以外で、アンティークコインを入手できるところがある。

 

ITCクニンガンの2階『ESENTA BANKNOTES COLLECTIONS

 

ウェブサイトは

http://www.esentabc.com/

 

 店舗型の貨幣商。紙幣が中心だが、コインも扱っている。たまに掘り出し物がある。ウィルヘルミナ女王若年胸像(YOUNG HEAD)1グルデン銀貨(1907年)はここで購入した。

f:id:garudajkt:20170426160916j:plain

f:id:garudajkt:20170426160915j:plain

 

 表面に傷や汚れが目立ち、状態はあまりよくないが、入手が困難なコインなので、とりあえず購入しておいた。225000ルピア。日本円でおよそ1880円。状態がよいのが入手できるまでは、手放さないでおこうと思う。

貨幣の露天商

ジャカルタコイン収集の聖地「パサールバル」の貨幣の露天商を紹介する動画がYouTubeにアップされていた。

 

https://www.youtube.com/watch?v=SOjW3LvHL8A

 

この中で取材を受けている露天商の親父からは、私も何度か購入したことがある。でも、店舗を持たない露天商なんて、日本には存在しないだろう。言ってみれば、貨幣の屋台である。いかにも東南アジアらしくて、私は好きだ。

 

ほとんどのコインははだかで売られている。当然スラブケース入りのコインなんて皆無。状態の悪いコインも多い。その中から、掘り出し物や状態のよいコインを見つけ出すことが、ここでの醍醐味である。

ガルーダ戦士流ーアンティークコインの定義

 モダンコインとアンティークコインを分ける定義は諸説があるようだが、私は勝手に1945年をその境と考えている。1945年より前に発行されたものがアンティークコイン、1946年以降がモダンコインという具合だ。

 

1945年は、日本人にとっては太平洋戦争終結の年、東南アジアの人々にしてみれば、長い植民地支配から解放された年(インドネシアのように真の独立まで数年かかった国も多いが・・・。)でもある。時代のひとつの区切れとしても、とても自然な感じがする。

 

日本史では、安土桃山・江戸時代が「近世」、明治から戦前が「近代」、戦後が「現代」となっているが、この「近代」までに発行されたものをアンティークコインと考えている。

 

 私が収集のメインに据えているオランダ銀貨を例にとると、ウィルヘルミナ女王像の銀貨まではアンティークコインに入るが、ユリアナ女王像以降の銀貨はモダンコインとなる。

f:id:garudajkt:20170424082554j:plain

f:id:garudajkt:20170424082553j:plain

  このコインは「オランダ領東インド2.5セント銅貨」。1945年発行なので、ガルーダ戦士流解釈では、ぎりぎりアンティークコインに入る。例の通り、ミントマークはフィラデルフィア(P)。裏のアラビア文字が異国情緒を醸し出している。

銀に思いをはせる

オランダの2.5グルデン銀貨は直径38ミリ、重量25グラム。銀品位が94.5%の堂々たる大型銀貨だ。1918年以降発行分から品位が72%に落ちたが、それでも重量が25グラムあるから、25×0.72=18、つまり18グラムの銀を含む。銀地金が現在1グラム=70円ぐらいなので、地金の価値だけでも1260円の価値がある。

 

オランダといえば、日本が鎖国中も長崎の出島を通して交易のあった国だ。オランダは欧米諸国の中で、唯一日本との交易を許され、利益を独占した。この交易で、日本からは銀が大量に輸出された。世界遺産に登録されている石見銀山は、その中心となって世界に銀を供給した。当時流通していた世界の銀の3分の1を日本が供給していたそうだ。

 

今自分の手元にあるオランダグルデン銀貨で使用されている銀が、石見銀山で産出されたものである可能性は高いと思っている。銀貨を眺めながら、そんな他愛のないことに思いをはせ、グラスに注いだ酒を飲むのが、仕事を終えたあとの、至福の時間である。

 

f:id:garudajkt:20170422143259j:plain

ミントマークに注目する

オランダ領東インド「4分の1グルデン銀貨」(1941年)を入手した。

 

f:id:garudajkt:20170421122030j:plain

f:id:garudajkt:20170421122031j:plain

 

家に帰って、コインをよく観察してみると、ミントマークが「P」であることが判明。オランダのコインなのに何故アメリカのフィラデルフィア(P)で造幣されたのか・・・? 歴史をひも解いてその背景がわかってきた。

 

 193991日、ドイツのポーランド侵攻によって「第二次世界大戦」が勃発。翌40年5月15日、ナチスドイツの侵攻でオランダは降伏し、以後ドイツの占領下に置かれた。オランダ王室などはイギリスに亡命し、そこで亡命政府を創設する。

 

 一方、オランダ本国が降伏した後も、オランダ東インドはオランダ亡命政府が管理を続ける。しかし、今までコインを造幣してきた本国のユトレヒトはナチスドイツに占領されてしまっている。そこでやむを得ず、アメリカに依頼してコインの発行を続けたのだろう。

 

 文献によれば、オランダ領東インド「4分の1グルデン銀貨」(1941年)には、上記「P」のミントマークが刻印されたもの以外にも、「S」(サンフランシスコ)のミントマークが刻印されたものもあるらしい。根気よくミントマーク「S」のコインも探してみようかな。

聖地探訪

 昨日19日は、ジャカルタ州知事選挙の決選投票日で、仕事が休みだった。二週間ぶりに聖地パサールバルに繰り出した。今月2回目の聖地探訪。

 

f:id:garudajkt:20170420104551j:plain

 

  このゲートが聖地への入り口。早速中に入り、なじみの貨幣の露天商を冷やかしながら、掘り出し物を探す。最近はまっている「オランダ領東インド」の4分の1グルデン銀貨(1941年)を発見。状態はそんなに悪くない。親父の言い値60000ルピアで入手した。今回は「併せ技」なし。